東京高等裁判所 昭和62年(ネ)3423号 判決 1988年5月18日
控訴人
甲川ハルヨ
控訴人
甲川春樹
控訴人
甲川夏子
右三名訴訟代理人弁護士
三宅能生
同
長屋憲一
同
髙芝重徳
同
山田昭
被控訴人
三井生命保険相互会社
右代表者代表取締役
坂田耕四郎
右訴訟代理人弁護士
五十嵐公靖
同
渡辺孝
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴人らは、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人らに対し金二億円及びこれに対する昭和六〇年三月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述及び証拠関係は、次につけ加えるほか、原判決事実摘示(ただし、原判決書三枚目裏三行目中「一〇月一日の」を「一〇月一日」に、同四枚目表二行目中「気管支鏡造影」を「気管支造影」に改め、同五枚目表一〇行目中「入院し、」の下に「同年一〇月一日」を加える。)及び記録中の当審における証人等目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
(控訴人ら)
仮に被控訴人が秋夫から本件病院に入院中である旨の告知を受けていなくても、被控訴人は秋夫から糖尿病の疑いがあると告知されていたのであるから、糖尿病だけではなく、血糖値の検査等さらに精密な検査をすべきであり、尿検査の結果だけで秋夫をして告知書に当時健康状態について異常がない旨記載させ、そのため秋夫の病状等を知らなかったのであるから、被控訴人にはこれにつき過失があるというべきであり、本件契約の解除権はない。
(被控訴人)
控訴人らの右主張は争う。
理由
一請求原因1ないし4(被控訴人の目的、本件契約の締結、秋夫が昭和六〇年二月八日肺癌により死亡したこと及び控訴人らの保険金請求)の事実は、当事者間に争いがない。
二そこで本件契約の当時秋夫に告知義務違反があったか否かについて判断する。
<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。
1 秋夫は、昭和五九年一月当時体重が六八キログラムあったのが同年四月には五三キログラムに大幅に減少したため、同月二五日から青森県弘前市内の○○内科医院の伯父乙野冬夫医師の診療を受けていたが、血糖値が高く、同年七月頃から左腕に脱力感、しびれを覚え、握力と背筋の筋力が低下し、同医師から糖尿病と指摘され、同年八月三日糖尿病の精密検査を受けるため本件病院(弘前大学医学部附属病院)で受診した。なお、乙野医師は、診療録の秋夫の傷病名欄に一旦「肺結核の疑い」と記載したが、その後右記載を抹消している。
2 秋夫は、同年八月二五日本件病院に入院し(この事実は当事者間に争いがない。)、同月二七胸部レントゲン写真撮影の結果、左肺に貨幣状病変様陰影が認められ肺癌の疑いが生じ、同年九月には左口唇周囲の知覚減退と左肩の圧痛を覚える自覚症状があり、気管支造影、気管支鏡検査を施行し、これと併行して脳CTスキャン検査及び骨シンチ検査等の諸検査(これらの検査のなかには苦痛を伴うものもあった。)を行った結果(右各検査の施行については当事者間に争いがない。)、肺癌(腺癌)、右視床部への転移性脳腫瘍、左肩等への多発性転移性骨腫瘍、糖尿病と診断された。本件病院の担当医師は、秋夫の糖尿病についてはインシュリン非依存型糖尿病の可能性が大であり、徐々に治療すればよいと考えていた。
3 本件病院の担当医師は、同年九月二三日秋夫の妻控訴人ハルヨに対し秋夫の病状につき「(1)肺に悪性の腫瘍があり、左肩や頭に転移している。(2)手術等はできず、放射線と動注療法、化学療法を中心とした治療になる。(3)できるだけの治療はするが、平均的な余後は六か月位である。」と説明し、同月二六日秋夫に対し「(1)糖尿病は軽い。(2)骨が問題である(骨がもろくなっている病気である)。電気をかける必要がある。それによって疼痛(骨がつぶれて神経にぶつかっている)はかなり改善してくるはずである。(3)頭部については発症などより脳出血が考えやすいが、それ以外の可能性も一〇パーセント以下だが残っており、予防的に電気をかける(できものがある可能性が考えられる)。それによって悪い事はまず何もないので心配いらない。(4)一〇月初めに左肩の血管について検査をする。(5)電気をかけるのに一〇月末までかかると思う。その効果をみて、次の治療(点滴等)を考える。(6)肺については時々写真をとるだけであまり心配ない(肋膜炎の可能性のため精査した)。」と説明した。
4 控訴人ハルヨと秋夫が本件病院の医師から秋夫の病状についての説明を受けて間も無い同年九月末頃、秋夫は、東京で会社を経営している知人の丙山一郎から生命保険の加入を勧められ保険金額二億円という極めて高額な生命保険に加入することを承諾し、同年九月二九日本件病院の医師から仕事の都合を理由として外泊許可を受けて同月三〇日急遽妻控訴人ハルヨを付き添わせて上京し、同年一〇月一日丙山の会社の応接室において本件契約の申込書に必要事項を記入して署名捺印しこれを被控訴人の外務員星野昌子に渡し、次いで被控訴人の診査医加藤明道の診査を受けた。
加藤医師は、被保険者である秋夫が本人であることを氏名、生年月日、職業等により確認したうえ、同人をして診査報状(告知書)の告知事項欄にその有無を丸で囲ませる方法により告知させるとともに、その内容を自ら手控に記録した。秋夫は、右告知事項欄の2、アの「病気や外傷で一〇日以上治療を受けたこと、または休養しことがありますか。」、3、エの「からだにぐあいの悪いところがありますか。」、3、オの「病気や外傷で診察・検査・治療を受けていますか。」との質問に対しいずれも「無」を丸で囲んで回答し、「自分はいままでに大病をしたことがない」などと言って当時の健康状態について異常がない旨答え、あえて現在弘前の本件病院に入院中で前記のようにさらに同病院で治療の必要のあること及び本件病院から外泊許可をえて上京したこと等について説明をしなかった。加藤医師は、さらに秋夫にその身長、体重を質問し、同人の胸囲、腹囲を測り、脈搏をみて血圧を測り、心電図をとった。
右診査の際秋夫の妻控訴人ハルヨが加藤医師に対し秋夫は普段親戚の医師に健康管理をしてもらっている旨話し、秋夫も糖尿病の検査を受けている旨告知したが、秋夫が前記のような本件病院に入院中でなお同病院で治療の必要があること及び本件病院から外泊許可をえて上京した旨の説明をしなかった。そこで、加藤医師は、秋夫の尿検査を実施したが、蛋白、糖ともにマイナスであった。また、加藤医師が秋夫に対し同人の背中に貼ってあった湿布について尋ねたところ、秋夫は「肩を打ったが受診せず自分で湿布した。」と答えた(秋夫が加藤医師に対し糖尿病の検査を受けていること及び肩打撲の事実を告知したことは当事者間に争いがない。)。
加藤医師は、右診査の結果秋夫につき異常所見を認めず、翌一〇月二日右診査報状(告知書)及び自己の手控に基づいて検診書を作成した。その内容は、秋夫の当時の健康状態についていずれの事項(ただし、「手術痕、有、昭和三二年虫垂炎」との記載部分を除く。)も異常がないというものであった。
以上の事実が認められ、<証拠>のうち右認定に反する部分は、その余の前掲各証拠にに照らして措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
控訴人らは、秋夫が加藤医師に対し本件病院に入院中である旨告知したと主張し、<証拠>にはこれに副う部分があるけれども、前認定のとおり、秋夫は加藤医師に対し肩の打撲及び虫垂炎の手術を受けた事実を告知し診査報状及び検診書にはその旨の記載があるのに、被保険者秋夫の健康状態を把握するうえでより重要な事項と思われる本件病院に入院中との事実が診査報状及び検診書のいずれにも記載されておらず、加藤医師が告知をうけたのに殊更これを記載しなかったと認めるに足る事情も窺われないから、結局秋夫が本件病院に入院中であることの告知はなされなかったものと推認され、これに反する前記各証言部分は措信することができない。
右認定の事実によれば、秋夫の左腕の脱力感、しびれと握力の低下、背筋の筋力低下、左口唇周囲の知覚減退、左肩の圧痛の自覚症状、秋夫が本件病院に入院中であること、同人につき本件病院で施行した検査の種類、内容及び同病院の医師が秋夫にした説明の内容は、肺癌等に罹患した被保険者秋夫の生命の危険を測定するについて重要な事実であり、保険者である被控訴人が保険契約を締結するか否か又はどのような内容の保険契約を締結するかを判断するについての基準となるものであるから、商法六七八条一項本文に規定する重要なる事実にあたるというべきである。
そして、秋夫は、自己の疾患の病名が肺癌等であることを知らないまでも、本件病院に入院し前記のような自覚症状を覚え単なる糖尿病に関する以上の諸検査を受け、医師からも説明をうけて、自己の病状が相当重大な事態であることを自覚していたものと推認することができるから、秋夫は本件契約を締結するにあたり、前記自覚症状、本件病院への入院、諸検査の施行及び医師の説明の内容が重要な事実であることを認識し又は容易に認識することができたものと認めるのが相当である。
したがって、秋夫が加藤医師の診査を受けた際前記症状、入院、検査及び医師の説明の内容を告知しなかったことは、本件契約の締結にあたり悪意又は重大な過失により重要な事実を告げなかったものであり、同人に告知義務違反があったというべきである。
被控訴人が秋夫の相続人である控訴人らに対し昭和六〇年四月二〇日告知義務違反を理由に本件契約を解除する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。
三次に、本件契約の当時被控訴人が重要な事実を知らなかったことにつき過失があるか否かについて判断するに、前認定のとおり、秋夫は加藤医師の診査を受けた際同医師に対し本件病院に入院中であることなど重要な事実を告知せず、告知した糖尿病に関しても尿検査の結果糖はマイナスであり、同医師の診査からは秋夫の当時の健康状態について何らかの異常を窺わせるような事情はなかたのであるから、保険者である被控訴人がそれ以上に血糖値の検査等精密検査をせず(なお、秋夫の糖尿病は重症ではなく同人の死亡と因果関係のないものであった。)、秋夫が本件病院に入院していることやその病状を更に調査せずこれを知らなかったからといって、被控訴人に通常なすべき注意を欠いた過失があったということはできない。したがって、被控訴人が控訴人らに対してした本件契約の解除の意思表示は有効であるというべきである。
四以上の次第であり、控訴人らの本訴請求は理由がないから失当であり、これを棄却した原判決は相当であって、これが取消しを求める本件控訴は理由がない。
よって、本件控訴を棄却し、訴訟費用の負担について民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官舘忠彦 裁判官牧山市治 裁判官小野剛)